味の明太子

今では博多を代表する名産品となった「明太子」。

 

実はなるべくしてなった根っからの名産品ではなく、一人の頑固な男が労力と時間をかけて作った努力の一品なんです。

 

明太子は元々韓国の家庭料理として親しまれていました。それを日本に伝えたのは戦時中兵士として生き残った韓国人でした。戦後日本に渡り博多の人々の親切さに助けられました。博多の人々は人種関係なく韓国人のヒロシを匿ってくれました。

 

周りからはお人好しと呼ばれるヒロシはいわゆるよそ者にもかかわらず、誰もやりたくない町の役員やお祭りの幹事などを自ら進んでかって出ました。

不況で町の祭りがなくなってしまいそうな時も自分の店の売り上げを献上して街を守りました。

そんなヒロシは韓国の釜山での妻との思い出の味である明太子を日本で再現しようと奮闘しました。妻のその笑顔のために。博多の人たちのために。

しかし何度試行錯誤をしても日本の明太子は辛味が強く食感の弱いものになってしまいます。

それでもヒロシは釜山の明太子の味を諦めません。自分の事も家族のことも二の次にして明太子作りに励みました。

それでも日本人に馴染みのない明太子、なかなか手に取る人はいません。

そんな明太子が全国的に有名になったきっかけはヒロシの周りの人々の口コミでした。

 

 

ヒロシは日本に住むようになって以来その人々の温もりに触れ、いつしか見返りを求めず人のために尽くす人間になっていました。そんなヒロシのためにと次は街の仲間が明太子を各地に広めてくれました。いつしかヒロシが営む「 ふくや 味の明太子 」は一躍全国に名を馳せ博多を代表する名物となったのです。

戦争や人種を超え、一人の男の人情が町の人々の心を動かし、それなら今度はヒロシにやってやれることはないかと町の人間が立ち上がり一人の男のために行動したことがこの結果になりました。

 

その味は時代が変わった今でも日本全国の人々に愛され、食べられ続けています。

 

 

「人に与える親切に見返りを求めるな」

 

そんな言葉を貫いてきたヒロシは、人の心を動かし、周りの人間さえも変えたということですね。

 

 

 

 

これから営業職という直接人と関わっていく仕事をする中で僕はやはり見返りを求めずお客様の満足のために全うするべきでしょうか?

 

自分の身を削って周りのために動くべきでしょうか?

 

最後には回り回って自分に売り上げという見返りが果たして帰ってくるのでしょうか?

 

そんなことを考えている時点で営業マンとして失格なのでしょうか?

 

答えはわかりません。

 

ということで今日も満員電車で両手を上げ、くれぐれも痴漢と疑われることのないよう努めてまいります。生粋の痴漢顔ですから。。みなさん良い1日を(⌒▽⌒)